【三度の飯よりコレが好き・人文学編】「好きだけじゃ研究はできない」東大大学院生が語る人文学のイマ

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人文学の研究は何のため?


───好きだけじゃ研究できないってどういうことですか……?

木村さん:確かに研究してて、図書館にこもってたらご飯のこと忘れちゃってたとか、三度の飯より好きに実際に当てはまってしまう部分はあるんですよ笑

でも、それだけで研究をしているわけではないです。面白いっていう気持ちと同じくらい、自分がやらなきゃっていう思いがあります。

廣川さん:そう、なんか謎の使命感があるよね。自分が書かないと誰も書かないだろうって思う。

木村さん:そこなんだよね。

個人的な実感として、僕が研究している対象って僕が見出さないと多分知られることはないし、それと同じように僕の論文もいずれは誰かが見つけてくれるのかなっていう思いがあります。

人類史の中で誰かがやらなきゃいけないけど、たまたまそれが自分だったって言う感覚が強いですね。

廣川さん:確かに、人間ってたかだか100年くらいしか生きられないけど、いつか誰かが繋いでくれるんじゃないかって思っちゃいますね。木を植えるみたいな感覚。


一方でもっと現実的な問題もあります。

例えば、研究テーマを決めるとき、できそうかどうかっていうのは重要なポイントだと思います。

私のテーマでいうと、万国博覧会って資料が恐ろしく多いんですよ。

多くの国やステークホルダーが関わってるから、万国博覧会の研究とひとくちに言っても、美術史・経済史・デザイン史……色々な領域から検討する研究者がいます。

そもそも一つの学問分野におさめること自体難しいんですね。

それに比べて……と言うととてもおこがましいですが、金沢の地域博覧会ならなじみのある地域で多少は文化に知見があるし、先行研究も万国博覧会ほどものすごく膨大なわけではない

地域博覧会研究に取り組み始めたばかりの私でも、頑張れば全てを見尽くすことも不可能ではないと思いました。

須河原さん:僕が離島から農業アルバイトにテーマを絞ったのも同じような理由からかも。それに、自分の生活を設計できるかっていう可能性を見極められないと実際厳しいよね。

───院生ならではの視点ですね。

廣川さん:そうかもしれないですね。

私は自分の研究が好きだし、このまま続けていくのかなと思ってたんですけど、大学院に入った途端、生きなきゃいけないという現実が身に迫って来る

大学院ですごく優秀な人たちを目の当たりにすると、正直こんなに頑張れないって思うこともあります。

自分の研究テーマはすごく好きだし面白いと思うんですけど、このまま走り続けていけるだろうか?これと一緒にずっと生きていくことって本当にできるのかなって。

重みが違いますね

須河原さん:僕も物を書いたり考えたりするのが好きで、周りから研究者になるんだろって言われてたし、自分もそう思ってたんで自然に院進したんですけど、入ってからやっぱりただ論文書くだけの仕事じゃないんだなって。

当たり前ですけど、論文書く以外にもいろんなスキルが問われることがわかってきて。

木村さん:例えば研究者同士のコミュニケーションってすごく大事だし、就活的なコミュニケーションを求められますよね。

須河原さん:実際、フィールドワークとか人に接する機会も結構多いしね。

人文学と生きること

木村さん:やっぱり社会制度の問題はあると思っています。理系に比べて文系は大学に残る以外で研究を続ける道がほとんどないんです。

そもそも文系の研究技術って示すのが難しい。人文学にももちろん理論はあるんですけど、まず個人の思想からアイデアが湧き出て、文献によって磨かれるという面が大きいと思います。

そこが人文学のいいところでもあり、悪いところでもありますよね

ただそれは制度上の人文学をどう生きるかという話であって、一方で生き方としての人文学という視点もあると思います。

───生き方としての人文学?

木村さん:人文学の研究者って結局なるべくしてなってるんだと思います。個人の生き方と切り離せないものとして研究がある

廣川さん:確かに、好き嫌い以前に生き方と切り離せないよね。知らないうちに背負ってしまった感じ。ただ、もちろんそれを不幸だと思ってないんですよ。

須河原さん:そうだね。体質みたいなもの。


廣川さん:
だから、研究を続けるにしても、就職するにしても人文学的な生き方はいくらでもできるとは思ってます。

周りのものに思いを馳せるとか、自明を疑うとか、他人の立場に立って考えるとかそういう人文学的な視点を持つことはできますよね。

───なるほど。でもそういう人文学的に生きるってある意味では誰でもしていることだからこそ職業にするのは難しそうですね。

廣川さん:そういう意味でいうと、みんなができていることを言葉にして拾い上げるという役割が人文学のプロには求められている気がしますね。

須河原さん:誰もが潜在的に持っているけれど、気づいていないような人文学的なものの見方や考え方について発信して、掘り起こしていく使命を見いだせる気がしますね。

木村さん:身を立てなきゃいけないという意味でどうしてもそれをアウトプットできない人はいるわけで、だからこそ生活とリンクできる人がアウトプットして行くべきだし、責務はあるのかなと思いますね。

例えば今、歴史作家と学者の応酬が話題になってて、通俗的な歴史本と歴史学というアカデミズムのギャップが可視化されてきてる状態ではあると思います。

歴史って誰でもできそうなイメージを持たれがちで、確かに潜在的には誰にでも可能性はあるんですけど、一方で研究に必要なアカデミックなスキルは確実にあります。

だから、個人的にはここから数十年単位でアカデミズムの側からもビジネスの側からも変えていけるといいなと思っています。

特にジブン×ジンブンには就活する人も博士行く人もいて、団体としてそこがいいなと思っています。その中で、僕はアカデミズムの側から何かしら壁を打ち破れるようなことをしていきたいです。

廣川さん:自然科学だと、例えば国立科学博物館のサイエンスコミュニケーターのようによく知られた活動がありますが、人文学ではまだまだ少ない。そういう人たちが増えるといいなと思いますね。

私自身も大学や研究から離れてしまうなら、今度は学問と社会の橋渡しのような役割として活動したいなと思います。

その一つがジブン×ジンブンという試みだと思いますね。

木村さん:なんだかんだ皆好きだからやってると思うんですけど、よく言われるような道楽的な意味での好きだけではなくて

社会に対しても役に立つかもしれないとか他の人にとっても面白いかもしれないとか、いろんな理由があって人文学をやってるんだっていうことは伝えていきたいですね。

廣川さん:自分の生き方について人一倍考えてるのが人文系の院生なんじゃないかなとは思います。人生ガチ勢でいたいですよね。


それぞれの研究への熱い想いや現実との葛藤。研究の世界に足を踏み入れた院生ならではの言葉ばかりで圧倒されました。

静かで熱いみなさんの想いが伝わりますように!


さて、そんなジブン×ジンブンの皆さんですが、来たる五月祭でも「人文学のインターセクション」をテーマに展示企画を開催するそうです!

今回のインタビューに伺った方々を含め、文理を越えて結集した大学院生が、どのように 「人文学」と出会い、関心を深めてきたのか。ライフヒストリーとともに、それぞれの人文学を伝えます。

他にも、高校教育と大学における学問の違いや、人文系院生の進路についても取り上げます!

高校と大学、社会と人文学、そして個人と個人。

五月祭ではそんな「人文学の交差点」に触れてみてはいかがでしょう。

ジブン×ジンブン」企画ID:501
第92回五月祭にて開催東京大学本郷キャンパス
(東京都文京区 東京メトロ南北線東大前駅・丸ノ内線本郷三丁目駅から徒歩5分)
会場:教育学研究棟3階 357教室(赤門入って左手の建物)
日時:2019年5月18日(土)9:00-18:00/5月19日(日)9:00-17:00
※19日(日)のみ終了時間が早まりますのでご注意ください。
入場料:無料(任意カンパ制)

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美味しいものが食べたいです。

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