看護師が挫折して東大の公共政策大学院に入った話

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この話東大と何の関係があるの?

はい、そうですよね。全然ここまで東大と関係ない話でしたが、ここから違うお話を挟んでいこうかと思います。

ちょっと時を遡り、国家試験の為の勉強をしていた頃の話ですが、以前から語学力にちょっと自信があった僕は「将来機会があれば奨学金でももらってアメリカの大学院に行きたいな~」みたいな、地に全く足のついていない甘い考えを持っていました。

マジで優先順位しっかりしろよ!って話なんだけど、初めて国家試験に落ちる前、まだ人生をなめていた僕は不意にGREという海外大学院出願試験の受験を決意したんです。

「エビデンスのない宣伝文句に負けて買ってしまいました」

この時に限って奇跡が起こり全米のトップ2%に食い込む事に成功したことによって、一気に多くの有名大学が射程圏内に入ったんです。

試験は数学・筆記・読解力の3つの分野から成り立つのですが、難しいと言われる読解力で結果を残す事ができたのは本当に嬉しく思いました。

今まで文学が好きで良かった!この時、自分に合ってる分野を選ぶ事の大切さ(それと、いかに今の分野が自分に合ってないか)を身を持って知りました。

時は進み国試に合格したはしたものの、病院・クリニックに落とされ続けて精神的に追い詰められていた当時、僕は一緒に大学時代の友達とバンドを組んていたんです。

目標が狭くなり過ぎていた時、「看護以外の未来もあるのかも」、と世界を広く見る余裕を持つスペースを与えてくれたのは彼らでした。

学校にずっと通ってると受け身になりがちで、特に自分は「試験勉強・就職活動」という枠組みの中で視野が狭くなって、将来設計さえ皮相な深みのない人間になっていたんです。

自分で書いた曲を演奏する事を通して久しぶりに想像力を生かす楽しみを感じ、音楽を通して人と繋がり、なにより自分が将来立派な何かを「成し遂げられなくても」周りでサポートしてくれるコミュニティーがいる事を再認識できました。

この経験を通して、自分が何を一番大切にしたいのか段々思い出せるようになったのが、今の挑戦につながってます。

「一人じゃできない事をするのが楽しい!」

大学二年生だった頃、僕が元々医者ではなくて看護師にを志した理由は、人と関わるのが好きだったからです。

そして、ある授業で「医者の仕事は患者さんの病気を治す事、看護師の仕事は医療チームを通して患者さんを幸せにする事」と教授に教えられてからは本当に看護師という職業に誇りを持つようになりました。

特に、医療システムと、少なからずどの大都市にも存在する移民の方々との懸け橋になる事は、今でも成し遂げたい事の一つです。

でも実習やインターン、助手として現場に出ていると医療従事者一人の力では改善できない事があまりにも多くて。

通訳者がいなかったり、文化的背景が違ったり、交通弱者の方々は病院にさえ来れなかったり、身体だけでなく心理的トラウマを持っている患者さんの為の包括的サービスが足りなかったり、そして何より意志があっても他の作業で忙しすぎて時間がない。

だから枠組みからアプローチする為には法律や決裁方法の知識、そして経済学的知識も必要だという結論にたどり着き、今は看護師としての経験を積む事が優先でも、大学院に進学する機会があれば法律、経済か公共衛生を学ぼうと思ってました。

頭の良い友達にどの分野を勉強すればいいか相談すると、「俺もぶっちゃけどんな分野か詳しく知らないんだけど」と言いながらも法学、経済学、政治学を掛け合わせた側面もある政策学を進めてくれました。

最初はアメリカの大学院に進む事を希望していましたが、自分がもう一つ興味を持つ分野としてアジア圏の政治・経済関係があり、「両方勉強する機会が与えられないかなぁ~」と思ってた時に、

先輩がキャンパスアジアという東大・北京大学・ソウル大というアジアを代表する大学の共同プログラムに進んだ事を思い出して色々相談しました。

先輩からは授業内ディスカッションの自由な方向性とか、在学生の有能さや多様性についても伺い、「オレ・・・受かるかな」とも思いつつも非常に興味をそそられ、受験を決意したのです!

「食べ物とか風景とか、色々ひっくるめてアジアが好きです!」

K-Popジャンキーと化した脳をフル回転させて志願書も本気で書いて、面接も本気で受けた甲斐もあって何とか合格した僕は東大の公共政策大学院に進む機会が与えられました。

でも「めでたしめでたし」で完結する訳でありませんでした。何故なら・・・

うぇぇリスク取りたくねぇな

ちょうど公共政策大学院に合格した頃は就職失敗記録も30の大台に乗せた頃で、まだ正看護師としての経験を積む事が優先だっただけでなく、応募書の書き方も上達してきたのか稀にでも面接に呼ばれるようになっていたからです。

「もしかしたら後ちょっと粘れば安定した生活が待っているかもしれない。まずもっと経験を積んだ方が良いかもしれない。」

という気持ちは物凄く強く、いくら自分の行きたいプログラムだからといってすぐに決断する事はできませんでした。

その当時すでに地元は離れていましたが、良い友達にも恵まれ、自分が不得意ながらも選んだ職業に誇りを持ち、就労環境以外の面では色んな意味で充実している中で再び分野を変え、引っ越す事に躊躇もしていました。

将来はアメリカとかシンガポールとかに住んでみたいし、そしたらお金を貯めてから海外の大学院に進んで現地で再就職した方が良いんじゃないか、とも思ったり。本当に悩んだなぁ。

進学する方向へと心を傾かせるきっかけとなったのはキャンパスアジアの卒業生が書いた一つの記事です。

公共政策大学院の卒業生の進路や関心事について調べていた時に見つけたのですが、アジアという枠組みの中でお互いに対する理解を呼びかける真っ直ぐな声に僕はかなり衝撃を受けました。

この記事の筆者は「近くて遠い」という東アジアに蔓延る声と向き合い、実際に韓国や中国で慰安婦の方々の元へ出向き、今はその経験を糧に更に進化・発信を続けていて、

僕は「こんなに本気で何かに取り組んでる人がいる学校に行きたい」と思うようになりました。

☞学生証 名前:長川美里 所属:日本再建イニシアティブ インターン(東京大学公共政策大学院CAMPUS Asia・北京大学国際関係大学院修了) 進路:東アジア人とし

記事だけでなく、もう一つ自分の人生で方向性を変えるのならば早ければ早い方が良いなと感じる出来事がありました。

自分と同期の人たちと話していると、職種に関わらず今の仕事に不満を持っている人が多くいて。その中でも危機感を覚えたのは「もう選んじゃったんだからしょうがないよね。でも、まぁ安定してるし。」という声が思ったより多かったことです。

頭で納得しても、心が満たされないキャリアで満足できる自信は自分にはないし、どんな道を選んでも責任を取れるように行きたいと思った末に・・・

ちょうど新学期が始まる2か月前に進学する意思を固めました!

そして全部合わせると、白

「いつもこんな表情をしていたような…」

挫折した経験から得るものもあれば、失う事も多いです。昔と比べてビクビクするようになりましたし、自信も無くなったかもしれないです。

でも自分は今までの人生の中で一番可能性を感じてます。自分が不得意な分野を選んだ事や失敗を繰り返した事で大いに成長した事は確かだし、一周回ってまた真っ白のキャンバスに向き合っているような気分です。

今までは看護師一辺倒だったのが、公共衛生だったり、国際機関だったり、ITだったり、若しくはここで得た知識を生かして医療に里帰りするのも良いし、選択肢が大いに広がりました。

他の挫折経験記事のエンディングの様に失敗を通してスゲェ何かを成し遂げた訳ではないけど、必死になれたし、挫折を通して安定した生活以上に自分が取り組みたい事に対して正直になれた気がしてます!

そして挫折を通してもう一つ良かったのは、本当に自分の事を気にかけてくれる人がいる事が分かった事です。

イケてるときとか波に乗ってる時は自然と人が寄ってくるけど、自分の社会的価値が無くなった時に全員友達として残ってはくれません。

拒絶されたりもう役に立たないと言われるのは辛いですが、励ましてくれたり、距離的に近い・遠い関係なくサポートしてくれる方々の暖かさはそれ以上心に響きました。

あの頃を知ってるみんな、本当にありがとう!みんなが誇りに思える人間になろうと頑張ってるけど、多分何も成し遂げる事ができなくても戻れば歓迎してくれると思う・・・そのお陰で失敗を恐れず様々な事に挑戦できてます!

やっと自分がいつ入ったのかも分からない長いトンネルの先に光の様な何かが見え始めて、今度は自分が誰かを励ましたいなと思いパソコンに向かっています。

まだハッピーエンディングじゃないけど、記事を通して誰かに寄り添う事ができれば嬉しいな。一緒に悩んで、一緒に笑いましょう!

皆さんも、きっと一人じゃないです。

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人生そんなに急がなくたっていいじゃん ^^

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