「地方創生をやめてくれて良かった」!?【東大法学部教授を推薦生が直撃】

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「『地方創生』をやめる気になってよかった」!?

筆者:先生の著作を拝見して、先生は、政府の政策としての「地方創生」を批判的に見ていらっしゃると思ったんですが、再度主張を伺っても良いですか。

 

引用:https://nipponianippon.or.jp/local-creation/news/1479.html 「地方創生の四つの戦略」

 

先生:日本全体の人口減少ははっきりしていて、各自治体・地域で「地方創生」のように、ミクロ的に人口を増やそうとすると若者の移住の奪い合いになります。国は、人口が減少していく中でどう対策をとっていくのかという、マクロ的な話をしないといけないはずです。

 もともとのきっかけを作ったのがいわゆる増田レポート(『地方消滅』増田寛也著。このまま人口減少が進むと日本の896の市町村は消滅するという主張が書かれた本)で、要するに人口減少という現実を見るべきだ、という内容でした。

 

このままでは日本の地方はなくなってしまう…

 

先生:にも関わらず、政府の政策としての「地方創生」は結局、移住者を増やせという話になってしまいました

 ある自治体が移住者を増やしたら、他のところは困るでしょう。そういうマクロな視点から、国全体を見る姿勢に欠けているのです。個々の自治体が自分のところに移住してほしいと、ミクロ的に行動するのは当然ですが、マクロを考えるべき国の政策としては間違っています。ミクロとマクロの視点を取り違えているのです。

 

政策としての「地方創生」は、国全体としての人口減少社会への処方箋にはならないってことか…

 

先生:ただ、「地方創生」は忘れられつつあるので、それはよかったです。2018年の組閣を見ても、「地方創生」をやる気がないことは、はっきり示されていました。首相としては自身で始めた「地方創生」を、自分自身でやめるわけにはいきません。ですから重要でない人を宛てた、と読み解くことができます。そのように、政権としても「地方創生」は店仕舞いを始めたようです。

 

じゃあどうしたら良いの…?

筆者:個々の自治体の再興の話をすると、究極的にはその土地の人々やその自治体が、頑張るしかないってことでしょうか?

先生:まず、個々の自治体の頑張りの話ではありません。なぜならば、資本主義市場経済の中では、地域活性化の成否に関しては、民間の活動が決定的だからです。自治体の職員に求められる能力と、市場で役立つ能力は、違うわけです。

 ジャパネットたかたが頑張れば、結果的に佐世保(長崎県佐世保市。同社の本社がある)で暮らしていけるのかも知れないけれども、佐世保市役所の頑張りではどうしようもありません。

 地域の人がやるか、自治体がやるかは、分けて考えないといけません。

 

なかなか刺激的な物言いをされる金井先生。

 

筆者:では、国ができることってなんでしょうか?移住を勧める「地方創生」がだめなら、国は何をすべきですか?

先生:政府ができることは、生活を成り立たせるために、税金を取ってきて公共サービスを行ったり、災害の復興をしたり、ということです。よく公共サービスをしたからといって地域経済が活性化するのか、と聞く人がいますけれども、公共サービスを行って地域経済が活性化するかどうかは、行政としてはいかんともしがたい。地域活性化は起業家とか、資本主義市場経済が決めることなのですから。自治体も含め政府部門は、経済ではなくて、人々の生活をどう維持するかを考えるのが仕事です。

 

筆者:そういうことって、多かれ少なかれ、今までもやって来たわけじゃないですか。その結果として今の地方の衰退がある。

先生:そうです。

筆者:それに対して、国ができることはないんでしょうか?

先生ほとんどないでしょう

 

「国の」政策では地方の衰退を止められないらしい。

 

筆者:ではその地域の人たちが、危機感を持ってやるしかないと。

先生:いや、危機感を持つ・持たないは無関係です。市場メカニズムは、人々の危機感とか頑張りとかでどうにかなるものではありません。多くの人は、幻想を抱いているのではないでしょうか。頑張ればどうにかなる、報われるなどと、市場はそんなに甘い世界ではありません

 頑張ってダメだったら、もしくは頑張らなくても、頑張れなくても、ダメだった時にどうするのかを考えるのがガバメント(政府部門)の役割でしょう。日本の政策が地方を疲弊させて来たというよりは、市場経済が地方を疲弊させてきたのですが、政策で地方を活性化させることはできなくても、公共サービスを維持することはできる。公共サービスを維持して地域社会で人々が暮らしていけるならば、結果として、そこに一定の需要が生まれます。そういう意味で、政府部門によってある程度の需要創出ができて、経済が循環する場合はあります。

 地域社会に需要があれば、そこで頑張る民間人がうまく生活したり、起業したりするかも知れないし、しないかも知れないのです。起業家という天才たちが、どこで何するかは全くわかりません。突然葉っぱを札に変えるような人が出てくるかもしれないけれど、成功するか否か、全ては結果論です。だから危機感も努力も、それ自体は倫理的には良いことかもしれませんけれど、結果には関係ないのです

 

葉っぱをお札に変えるような「天才」たちの行動は、予測不可能…

 

筆者:じゃあ、現状を良くしようとする流れがあるわけじゃないですか。

先生:はい。

筆者:そういうのはあまり、効果ないんですかね。

先生:良くしようとするのはいいけども、効果はあるかもしれないし、ないかもしれないのです。マクロ的に良くなることはあるかもしれないけれども、努力する人のミクロの成功に繋がるとは限りません。

 そのために行政が何ができるかを考えれば、所得を保障すること、公共サービスをきちんとすることでしょう。あと「頑張れ」とか「努力すればなんとかなる」とか空虚な精神論を早くやめるべきだと思います。政策を作るような立場の人間が、自分は頑張ってきたと思っているのだとしたら、それこそが政策失敗の素と言えます。頑張れば成功するわけではないのですから。

筆者:政府としてはインフラ事業とか、社会保障制度を整備することが重要、と。でも人口は減少して、税収も無くなっていくにつれて、それらも難しくなって行きますよね。

先生:すでに公共事業の時代は終わったので、社会保障をすること、そのためにどうやって税金を取ってくるかが、ガバメントが考えるべきことです。

 

どうしたら税収を増やせるか、考えないとまずい

 

先生消費税増税を延期するような政権は話になりません。竹下政権は、政権を崩壊させてでも消費税を導入しましたが、もし今消費税がなかったら本当に大変なことになっていたでしょう。ただ、公共サービスのための増税の意味を理解しない国民も問題ですけどね。確かに、増税するのは、僕も嫌ですけれど。

編集部:ミクロとマクロの視点の違いですよね。

先生:ミクロ的には増税は嫌に決まってるけれども、個々が嫌がってることを社会共通の利益をマクロ的に考えてどうやって決定するかが公的な意思決定です。個々が好き勝手やるのであるならば、それは市場経済の世界です。

筆者:では、地方の自治体はどうすべきですか。

先生:自治体も公共サービスの維持が基本でしょう。しかも自治体の場合はその維持がだんだん困難になってきています。それが最大の課題です。出身は長野のどこですか?

筆者:長野市です。割と端っこですけど。

 

筆者の実家近く

 

先生:もうそのうち道路とかなくなるかもしれないでしょう。いまでも買い物難民とか、地域見守りとか、いろいろ言われていますが、そのうち道路や橋の維持が大変になっていきます。そういうのが本当に危機的で深刻です

 人口は減るしお金もないし、税金もとれていないけれど、それでも意思決定は行わなければならない。「地方創生」のように、外国人観光客が増えましたとか、そんな浮かれた話をしている場合ではないのです。

編集部:観光客増えても地方の活性化に直結しないんですか?

先生:まあ経済的にプラスになれば、それはそれで結構です。ですけども、それで山奥の道路の問題が消えるわけではないでしょう。

 

筆者:ある程度の取捨選択はして行くにしろ、最低限維持していかなければならない。そのためにどうして行くべきかを考えて行くのが自治体の役割、と。

先生:そうです。自治の話は、全然楽しい話にはなりません。地方自治に関心のある若者は、「自分の地域を活性化させたい!」とかバラ色のことを考えているかもしれませんが、大体の自治はバラ色ではなく、イバラです。

筆者:星の数ほど出版されている地方自治の本には、大抵バラ色のことがかいてありますけど、そんなことを期待してちゃいけないってことなんですね。

先生:売るためにはバラ色のことを書くでしょう。だから僕の本は売れません(笑)

 

私が向かっているのはバラ色じゃない道なんだな、と再認識させられる筆者であった

 

同じ日本人が、「異なる人種」に?

編集部:近代で国民国家を作っていく過程において、中央集権というのはどこの国でも行われていたように思えるのですが、地方自治が機能していたようなモデルケースはあるんでしょうか。

先生:近代化とは資本主義経済の進展です。アメリカは、階層的・人種的な格差社会の割には、地域的には分散しているので、地方自治が機能する前提条件があります。

 戦後日本も政治のセンターがあって、ある程度分散した行政システムによって、分配の仕組みを持ってきました。簡単に言えば長野市に人口が集中できるのは長野県があるからでしょう?ある程度は機能してきていたわです。ただし、中央による分配という意味では、脆弱な地方自治でもありました。

 そして、21世紀になって分配の力が弱くなってくると、地域間の均衡が保てなくなってきました。分配というのは中央集権だけではできません。中央の人は要求されないと分配しませんから、強い中央に対して要求する強い地方がないと、均衡ある分配は成り立たないのです

 

日本は分配のシステムは持っているのに、その力が弱まって来ている

 

編集部:分配の力が弱まって来ていることと、日本経済の落ち込みは、無関係なんでしょうか。

先生:経済の落ち込みは、分配の弱体化にはあまり関係はないでしょう。ただ地方から要求する人間が減れば要求の力は減るし、都市圏側が全国政府の多数を占めれば、例えば官僚の大半が大都市圏出身になれば、地方圏の人が陳情に来ても何を言っているのか理解できなくなってしまいます

 昔ならば、長野出身で県立高校から東大に来て官僚になった人ならば、長野に限らず山形あたりから陳情に来た人に対して、言っていることがわかる、という話になります。これが、港区や世田谷区で育って、東京の中高一貫校から東大に行ったひとだと、わかりにくいでしょう。その人口的な変化はかなり深刻です。官僚だけでなく政治家にも同じことが言えます。

 

道路が、学校が、病院がなくなっていくのって 都会に住んでるとなかなか実感がわかない…

 

編集部:教育の地方格差がダイレクトに影響してくるわけですか。

先生:教育の地方格差ではなく、人の生育歴です。戦後日本の都市圏の人々は、元は地方圏からの「移民」でした。その「移民一世」で国政が成立してる時には、地方の話がわかるわけです。でも今、都市圏と地方圏の人間は、別の人たちになってきています。見えない壁が成立してて、今後もっと深刻になっていくでしょう。

 だから都会の人間は、「頑張った」「素晴らしい」地方に対してしか応援する気になりません。露骨に言えば自分が観光で行った時に楽しい場所だけを応援するのです。ですけれども、地方圏で暮らすということは、そうした綺麗事ばかりではありません。そこの共感がないのです。

 

きらきらした観光地だけが「地方」なわけないのになぁ。

 

 逆に言えば都会がどんなに悲惨なのか、地方圏の人はわからなくなっているとも言えます。都市圏が今後も活性化するかは分かりませんし、東京は栄えていても、東京に暮らす個々人は、例えば貧窮に喘いで孤独死するかもしれないのです。無縁社会のこの状態も理解されていません。これも深刻です。日本でもスラム街みたいな問題が起こりつつあります。

 東京も地方も、問題満載であることは全くかわりません。にも関わらず、お互いの状態の深刻さを、お互いが理解していません。東京圏と地方圏の分断、国政と自治体の分断は、非常に深刻です。

 

人で溢れる東京で、孤独死がどんどん増える…怖過ぎる

 

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長野出身。自然が好きです

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