【障害者のリアルに迫る】『わたしたち』が『共に生きる』ためには?

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福祉の世界って、感動物語ばかりじゃない。

『障害者』を手助けしてあげたい。だけど、「かわいそうに思われている」と『障害者』に感じさせたくなくて、どう接するのが正解なのか分からなくなったり。

何かに困っている人がいて、何か声をかけたり力を貸せたりしないかと思う。だけど「大変ですね」とか、「その気持ちは私も分かるよ」とか、共感するってことがすごく躊躇われたり。

福祉ボランティアに参加したい。だけど、もしかしたら利他的な感情じゃなくて、ただの自己満足や偽善なんじゃないのかと思ったり。

寝たきりで意思疎通を図る手段がない人を見る。どうして生きてるんだろう、もし自分がそうなったら、お金もかかるし親族もかわいそうだから、臓器移植か何かに使ってもらうのもいいし、さっさと延命装置を止めてもらっても構わないと思ってしまう。だけど、実際にそうなっている人を前にしたらそんなことは言えなくて、自分の中の隠れた優生思想が嫌になったり。

 

頭ではそれが倫理的に良くないことだと分かっている。

だけど、生々しくて、自分の感情のはずなのに目を背けたくなってしまうような思いが、湧き出て来ることってありませんか?

「障害者のリアルに迫る」ゼミって?

「障害者のリアルに迫る」ゼミは「『障害』というテーマをタブーなく語る場を作りたい」という思いから2013年より活動を続けています。

ゼミには主任講師として野澤和弘氏(毎日新聞社論説員)、また毎回の授業にゲスト講師として全盲ろうやALSなどの難病といった目に見える『障害』の当事者、LGBTQsや依存症の方などの目には見えない『障害』の当事者、そして支援に携わる方々をお呼びしています。2016年にはぶどう社より「障害者のリアル×東大生のリアル」が出版され、累計1万部を突破しました。

https://www.amazon.co.jp/障害者のリアル×東大生のリアル-「障害者のリアルに迫る」東大ゼミ/dp/4892402273

 

2018年Sセメスターでは自主ゼミナールとして開講します。自主ゼミナールは講義をともなう学生団体の活動で、履修登録なしで受講できるものです。

シラバスにも載っていません。

ので、残念ながら今学期は単位が出ません………!!!!

まず自主ゼミという時点で「なんか意識高そうだし辞めとこ」と思うだろうし、更に単位が出ないとなればなかなか足も向きにくいかとは思うのですが、ぜひとも気軽な気持ちで一緒に『障害』について考えてみませんか?

★2018年Sセメスターの講義の詳細は最後にて!

 

『障害』のレッテル

『障害』と聞くと、パッと思い浮かぶのは、目が見えないとか、車椅子とか、結構目で見て分かり易いものではないでしょうか。

そう言った人たちに対してついつい第一印象から「大変だなあ」と思ってしまうところってありませんか?マジョリティと違うから、『普通』じゃないから…。

だけど、例えば耳が聞こえなかったとしても手話だって立派な言語だし、車椅子だって移動するのには足と代わらない。良く言われる話ですが、『障害』は個人の問題ではなく、社会の問題としても捉えることができます。『普通』が勝手に用意されてしまっているから、そこから外れたものが『障害』にされてしまう。元々1つ1つは良し悪しの関係ない特徴なんじゃないか?

 

………でも、そんな風に理屈をこねてみたとしても、他の属性とはなんとなく同じように扱えない気がしますよね。例えば、『障害』を笑うのってすごく抵抗がありませんか?『ハゲ』とか『デブ』とかをイジる文化があるのに、『目が見えない』とか『極端に背が低い』とかを笑うのは、そこに軽蔑の意図がなかったとしても「タブーだ」「不謹慎だ」という気がする。

そういえば、今年のR-1ぐらんぷりで優勝したのは、盲目の漫談家・濱田祐太郎さん。自身の盲学校や日常生活での経験を元にしたネタは、ネットでも物議を醸していました。「迷ったら笑ってくださいね」とネタの最初に語りかけるのが印象的。

 

あるいは、『障害』を抱えながら偉業を成し遂げている人のストーリーって、なんだかすごく感心させられてしまいますよね。『障害』があるのに東大に入った、とか『障害者』なのに大学教授だ、とか。某長時間TV番組なんかもそういう風に感動仕立てに番組が作られていたり。

逆のことを言うと、『障害者』なのに女好きだ、とか。そのことと『障害』本体は関係がないはずなのに、なんだか過度に疎まれる傾向にあるような。

 

本当は『障害』なんて程度も表れ方も捉え方もの人それぞれで、ある『障害者』の語りは決して『障害』の全てではない。

そもそもある特徴が『障害』であるかどうかすら、決して絶対的なものじゃない。

それなのに、『障害者っぽく』振る舞わなければ、変に感心されたり、逆に怪訝に思われたりしてしまう。

 

…これ、なんだか身に覚えありませんか?

最近、テレビなどでよく『東大生』のことが面白おかしく放送されたりする中で、高校の友人や親戚に「お前は『東大生』なのに普通だよな」って言われたりとか、直接じゃなくてもSNSなんかで「『東大生』がそんな風にだらしないから日本はこんなにダメなんだ」って、話したこともない人に言われたり。

私たちはただ「東京大学に通っている大学生」という属性を持っているにすぎない。それなのに、誰のことを指しているわけでもない『東大生』が一人歩きしていて、勝手に意外に思われたり、憤られたりする。

「どこの大学に通ってるの?」って聞かれると、ついつい面倒になって「東京の大学ですよ、アハハー」って言っちゃう

 本当は『障害者』も『東大生』も、ひとりひとりそれぞれに“リアル”があるのに、それを知られてないのって苦しくないですか?

 

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「障害者のリアルに迫る」ゼミ

「障害者のリアルに迫る」ゼミは「『障害』というテーマをタブーなく語る場を作りたい」という思いから2013年より活動を始め、毎期全学ゼミナールや自主ゼミナールとして前期教養学部生向けにゼミを開講しています。ゼミには主任講師として野澤和弘氏(毎日新聞社論説員)、また毎回の授業にゲスト講師としてLGBTや依存症の方などを含む『障害』当事者の方々、支援者の方々をお呼びして、活発に議論をしております。2016年にはぶどう社より「障害者のリアル×東大生のリアル」が出版され、累計1万部を突破しました。 2018年Sセメスターでは自主ゼミナールとして木曜5限に開講します。

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