おっさん東大生が語る、50歳で東大に入学した理由

LINEで送る
Pocket

社会人から見る東大

さて、これまでは、一学生という視点からつづってきましたが、ここからは、社会人経験者という立場からお話をしていきたいと思います。以下の話はあくまでも私の経験から感じとった私見にすぎないということをあらかじめご了承ください。

私の思う東大生

特徴としましては、自分の関心事には熱を入れる一方で、それ以外のことについては、たとえ仕事などで求められていたとしても、力を抜く傾向にあるということは感じました。知的作業や重要な活動には没頭する一方めんどうくさいことや泥くさい作業は他人任せにする者、自分の考えは絶対に正しいと信じてやまない者、こうした者らは特に国家公務員のキャリア組に顕著にみられました。

人間関係においても、自分にとって得となる人との関係は大切にするものの、それ以外の人にはほとんど関心を示さない者も少なからずいました。もちろん、こうした人たちにも真に優秀な人もいるでしょう。しかしながら、こうした人たちが彼ら彼女らを陰ながら支える周囲から人として尊敬され信用されるかというと、そこは別問題です。

私が就職した昭和の終わりのバブルのころまでは、特に国家公務員の場合は、出世するには東大出身であることが必要条件であるかのような様相を呈していました。しかし、今は東大出身であることの神通力は以前ほどはないようです。

バブルの頃の私。

例えば、霞ヶ関の省庁の事務次官でさえ東大出身以外の者も増えています。このように最後は実力がものをいうのが社会です。ただ、東大出身ということで就職しやすかったり、就職後も要となるポストが与えられるなど、チャンスに恵まれやすいというのは今でも見られると思いますが。

就職への細やかな細やかな助言

次に、みなさんが就職する上での助言をさせていただきたいと思います。まず注意していただきたいのは、官民問わず組織の一員となると、自分の思い通りには決してならないということです。組織の方針が絶対ですから、その方針が自分の考えと一致していればいいのですが、そうでない限りストレスがたまるだけです。大げさにいえばアイデンティティーの崩壊、生ける屍化です。

また、上司に付き合うサービス残業が、貴重な時間を一日に何時間も無駄に奪っていきます。さらに、組織の方針によっては、仕事と子育てや介護との間で大いに悩むことになるかもしれません。この点は、今のみなさんにとっては実感できないことかもしれません。しかし、自身の経験からしても、従業員の育児や介護に対する組織の取組み・姿勢について、事前にできれば実態を確認することを強くお勧めします。

人間関係でも、今までに会ったこともない変わった人(私もその内の一人ですが(笑))にもたくさん出会います。私の周りには、自分の思い通りにならないとふてくされる者も少なからずいました。だから、今は、大学の教授や講師には人格者が多いと改めて感じているくらいです。社会では、自分とは合わない人たちといっしょに仕事をしなければならいことがほとんどで、ここが学生時代とはもっとも異なる点かもしれません。

 

また、自分の裁量で仕事をしたい、自己実現を図りたいというのであれば、企業やNPO・NGOなどを立ち上げたり、あるいは弁護士、会計士、医師といった士業、あるいは研究者になることをおすすめします。実際、士業に従事する人よりサラリーマンのほうがうつ病にかかりやすいそうです。それでももちろん、人間関係含め自分を押し殺さなければならない局面はあります。

さらに、こうしたことは一切気にせず自分そのものを表現していくことを仕事にしたいのであれば、作家や芸術家、アーティスト、プロスポーツ選手などを目指す道もありますが、生きていく上でのリスクは士業などよりもいっそう高まるでしょう。もちろん、これらの場合、生まれもっての才能がより求められるということは言うまでもありません。年金や保険、福利厚生などの点でも、サラリーマンと比べ著しく不利になります。

 

いずれにしましても、外国人含め、世の中には様々な価値観を持った人たちがいます。まずはその事実を認識して、それにうまく対応していく柔軟性を備えることが必要であり、そしてそのためにも、いろいろな経験をし、教養もできるだけ身につけておいていたほうが望ましいと思います。これがうまくいかないとストレスが溜まり、ひいては、他人との衝突が生じても、それが解消されることはありません。

そして大げさにいえば、こうした価値観のすれ違いや相手を理解しようとする姿勢の欠如が、民族間の争いや国家間の戦争を招いているのではないでしょうか。ただ理屈ではそうとは分かっていても、言うは易く行うは難しでして、私もうまくできていませんし、現実世界でも相互理解が十分できていないからこそ、紛争や戦争が絶えることはないのかもしれません。

 

しかしそれでも、努力するとしないとでは大きく違ってくるのではないでしょうか。

最後に

みなさんのように10代後半から20代前半にかけて大学などに通い、卒業後は企業に就職するなどして社会で活躍すると同時に家庭も築き、引退後は余暇を楽しむ、というのは日本人が決めた路線であり、社会もそのように構築されています。もしかしたら、生物学的にもこれが最適なのかもしれません。

しかし、このように規定路線に乗らず自分のしたいことをしたい時にするという生き方もあります。私も、東大で勉強しつつ、政党をクビになったあとも無所属で政治活動を続け、充実した日々を送っています。もちろん、へこみそうになることもありますが、充実しているが故に辛くはないのです。

熊本での思い出の1枚

ただ、こうした生き方は、社会が先のようにできている以上、リスクを伴い何かを犠牲にする必要も生じます。私の場合、女性にふられ続け独身のままでいることと、そして両親を亡くしたことが、今の生き方を可能にしている面もあります。そして、これからも政治活動を続けてはいきますが、大学に入り直して初めて学問の楽しさを知ったわけですから、残りの人生をかけてでも東大のいろいろな学部で学び続けるのも一つの道なのかな、とは考えはじめています。と同時に、諸事情により教育に多くのお金をかけることが難しい家庭・環境にある子どもたちにも、地元で塾講師などをしながら、勉強することのおもしろさを伝えつつ進学の可能性も広げてあげることができればいいかな、とも思っています。

 

みなさんにおかれましては、いずれの道に進むにせよ、いろいろな人の話を参考にしつつ自分の責任で考え判断し、みなさん各人が死に際に悔いが残らないような人生を送ってください。人生には限りがあるのですから。

さて、今回のお話はここまでですが、実際の選挙の舞台裏やOECDにまつわる更なるエピソード、そして旧大蔵省や東京地方裁判所での具体的な仕事内容などについてお知りになりたい方は、私のblog(『東大生ブログランキング』からも入れます。)もしくは拙著『中年東大生?政治家を目指す』(文芸社)をご覧下さいませ!

LINEで送る
Pocket

ABOUTこの記事をかいた人

2015年、50歳で受験し入学。現在、自主留年をして文科一類の二年生。 過去、選挙に三回挑むも、いずれも落選。 今も、勉強の傍ら、政治活動中。

この記事に感想を送る▼

メールアドレス (必須)

メッセージ