【世界を「創る」のその先へ】人工世界SFファンタジー映画『世界のあいだ』制作に向けて

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人工世界を作るだけでは飽き足らず……

「人工世界と現実世界にはどういう関係があるんですか?」

大変ありがたいことに、「世界を創る」の記事を出した後、さまざまな方面から反響をいただきました。ツイッターDMで励ましの言葉をいただいたり、ある学生グループのディスカッションに呼んでいただいたりと本当に感謝がつきません。

ところで、各所でお話しをする中で、人工世界と現実世界の関係性についてどう考えるかというご質問を頂きました。

その場でなんとお答えしたかというと、一応は(前回の記事に書いたように)人工世界は現実世界を理解するための鏡のようなものでもあるというようなことを言ったと思います。

実はこの関係性をどうしたものかというテーマは課題として頭の片隅にありました。今現にどういう関係があるか、というよりも、どういう関係を作るかということかなと思っています。

質問をいただいた後、長らく放置してきたこの問題と向き合って考えました。そこで僕は、数年前からぼんやりと構想していて、しかし作品の形にはしていなかったアイデアを思い出したのです。

「現世編」構想:人工世界と現実世界を矛盾なく繋げる方法の模索

ところで僕は前回の記事で、僕の創作している人工世界の名前を出しませんでした。「フィラクスナーレ」といいます。

フィラクスナーレという名前が覚えにくいな、と思った方が多数でしょう。余談になってしまいますが、この名前を覚えていただけるように、ここで手短に語源の解説をしておこうと思います。

「フィラクスナーレ」firraksnarreという語はヴァロケリム語という人工言語の語彙であり、ヴァロケリム語の古い形である古ヴァロケリム語の「ルアグスナールエ」řġagsnârġe [ʀɣags.ˈnaːr.ɣɛ] からきています。

このřġagsnârġeをさらに細かく分解すると、řġag- “火を使う”(の現在分詞形) + na “存在、者” +arġ- “世界”となります。つまりは「炎を使う者たちの住まう世」です。さらに、火を道具にできる生き物は人間しかいないので、「炎を使う者」とは人間のことです。

firraksnarre ‘the world inhabited by fire-wielding beings’

 < Old. Var. řġagsnârġe

 < řġag- ‘use fire’ + na ‘beings’ + arġ- ‘world’

さてこの人工世界フィラクスナーレの作品群として、フィラクスナーレの内部で起こったことを描く作品群は前から書いていたのですが、数年前(高校時代だったと思います)から、「現実世界に生きる我々が、フィラクスナーレのことについて知り得るような正当な理由が必要ではないか」と考え始めます。パラレルワールドである以上、何かしらの理由がないと僕たちはその存在すら知ることはないはずです。

そこでその理由づけとして、フィラクスナーレの世界が滅びてしまう際に、人類(とそれ以外のいくらかの生物)の霊魂がなんらかの方法でこちらの現実世界に移住してきて、それが今の我々なのだという説明を思いつきました。

霊魂というとスピリチュアリズム的に聞こえますが、ここではそれを、人間を構成するなんらかのエッセンスのようなものと捉えていただければと思います。

フィラクスナーレはひとつの閉じた世界であり、それが魅力でもあると思いますが、これまではいわば宙に浮いた状態だったと思います。数年前からあった「現世編」と名付けた小説群の構想と、現実世界とのリンクという観点が結びついて、次第に「現世編」がはっきりとした形を帯びてきました。

ふたつの世界を繋ぐ話を、なんらかの形で作りたい。僕がこの新しい物語のタイトルに選んだ『世界のあいだ』は、そう考えるなかで自然と浮かんできたものでした。

ふたつの世界のあいだの物語をどう表現するか

『世界のあいだ』をどう実現するかということについてはしばし考えていましたが、実は最終的に選んだ解決策は僕の目の前に転がっていました。

僕が前回の記事を出すずっと前に、映画制作スピカ1895の代表の安達くんが、ミュージカル映画について記事を書いていたのを覚えている方もいらっしゃるかと思います。僕は安達くんの企画に加わり、駒場祭で上映された映画『めくるとき』の音楽を担当しました。実際には音楽だけでなく、大半の撮影に立ち会ったり監督と一緒に編集したりととても貴重な体験をしました。

「現世編」について具体的な構想をしていた時期と、この映画の制作をしていた時期とが大体重なるのですが、10月の終わりくらいになって、実写映画を作ってしまえばいいのではないかという結論にたどり着きました(もちろん「作ってしまえば」などと言えるほど簡単ではないのはわかっていますが……)。

『めくるとき』撮影時の安達監督と中野。

というのは、それが一番早くみなさんにお見せできる方法だと思ったからです。以前記事を出して、想像もしていなかったような反響が返ってきて、僕は正直驚いていました。意外に多くの人が興味を持ってくださることを嬉しくも思いましたし、未だ興味を持ってくれた人々に僕の作品をお見せできないことをもどかしくも感じました。

フィラクスナーレの中の話を映像化するのはさすがに現時点では困難ですが、現代を舞台とするこの物語なら、工夫すれば可能なのではないかと考えたのです。

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ABOUTこの記事をかいた人

東大2年文科Ⅲ類TLPフランス語→教養学部教養学科超域文化科学分科学際言語科学コース。趣味は小説執筆/人工世界創作/語学全般/人工言語/音楽演奏・作曲(YoutubeでTormis Narnoで検索)/ダンス/絵画/木工など。東京大学室内楽副会長、自作曲「交響詩『クー・ヒュルン』」を演奏。映画製作スピカ1895のミュージカル映画『めくるとき』の音楽担当。人工世界と現実世界の関係を描いた『世界のあいだ』を制作予定。言語等創作に興味のある方は、ツイッターの創作アカウント@Firraksnarre_TN をどうぞ。

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