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私の就活〜法学部から霞ヶ関へ?!〜

2017.12.13

12月に入り、2019卒の就活がいよいよ開戦前夜といった頃でしょうか。

20年ちょっとの人生から学んだことを最大限に生かして、この先50年近い人生を選択する機会、それが「就活」だと思います。

高校受験、大学受験はこんなにも周りのサポートがあって、準備万端で臨ませてくれる。「東大を目指す」と言えば、大方の大人は応援してくれる。

それに対して就活は、大学三年生の夏頃に突然やってくる。選択肢も十分にわからないまま、「ほら、君はどうする?」と岐路を突きつけられるのです。

世の中にはいろいろな働き方があって、就職して雇われるだけが仕事ではない。ぼんやりとそんなことを考えていても、「新卒一括採用は今だけ」という機会損失の恐怖、周りがみんな就活をしているぞというプレッシャー、是が非でもやってくる来春の卒業、そんな条件の下で黙って「就活をしない」という選択を取ることは結構難しいものです。

今回は、そんな突然現れた敵「就活」に対処するため、右も左も分からない私がとったありえない選択、そこから学んだ次代に伝えたいことをまとめてみました。

「夢」との出会い

私が所属する東大法学部の学生がとる進路は、俗に「法曹、官僚、民間、各々およそ1/3」と言われているようです。

2016年夏、3年生の夏休みは、どの進路を選択するにしても、インターンの夏休み。これを知ったのは10月頃でしょうか。

すでに手遅れ〜と思いながら、友達に引っ張られて説明会に行ったのが11月。霞ヶ関の職員の方、すなわち「官僚」が直々に学校で説明会をしてくれたのです。

よく見ると法文の建物の廊下には、所狭しとそんな説明会の案内が貼られているのでした。

初めて行ったその説明会で、私はひどく感銘を受けました。

「官僚」って、エリートで、硬派で、小さい頃から目指している人がたくさんいて、選ばれた特別な人にしか目指せない道、私には決して縁のない世界。今振り返れば、この解釈はあながち間違いではなかったのかもしれません。

でも、そんなこと以上に、「この国を守り、この国をより良くする」というミッションと真っ向勝負する仕事。その実際の仕事の様子や、どんな思いで仕事に臨んでいるのか、というお話を詳しく聞いて、それまでうわべのイメージばかりで敬遠していた職業の、真の姿を垣間見た様な気がして、はっとしました。

20年経っても、その仕事への熱い思いを持ち続け、学生に熱く語れる仕事が他にどれくらいあるだろうか、と思いました。

もしかしたらこの先の人生をすべて捧げるかもしれない職業を選択するにあたって、せっかくなら国のために尽くすのも悪くないのではないか。むしろ、もし私にもそんな仕事の一端を担える能力があるなら、ぜひ全力を尽くしたい。そう思いました。

国家公務員総合職の試験は、まず受験区分がいくつかに分かれています。

私のような法学部の学生が受験するには「法律区分」が王道(おそらく)で、それから「経済区分」や理系の各種区分、他にも一足先に実施される「教養区分」が存在します。

一次のマーク式、二次の記述式、それから面接形式の試験があり、最終合格率はおよそ1/10のようです。

私が受験を意識し始めた時、季節はすでに冬。国家公務員総合職は、秋にすでに「教養区分」の試験が終了しており、残すのは2017年4月30日に行われる「法律区分」の試験のみです。

学校の授業で試験を受けるのが精一杯。優だとか良だとか興味がない。卒業できればなんでもいい。

そんな気持ちでしか勉強をしたことがなかった私が、さすがに半年も勉強せず合格できるわけがない。本気で国家公務員になりたいなら来年また出直しだ。半ば諦めてそう考えました。

そしてこの先1年も勉強するのだから、なりたい気持ちが本物なのかしっかり確認しておかねば、という気持ちで、何度も説明会に参加しました。

その度に声をかけてくれる省庁の人事課の方。「まだ間に合う」「来年受けるにしても今年も受けておいて損はないから」と励ましてくださいました。

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やればできるかも。。

3月1日から一般企業の説明会が解禁し、今年度の国家総合職の受験のことはすっかり頭の片隅に押しやられていた頃、すっかり顔なじみになってしまった省庁の人事課の方から電話がかかってきました。

「勉強を始めるなら本当に最後のタイミング。やってみなきゃわからない。」一般企業の説明会で、企業に就職するということがなんだかピンとこないな〜と思っていた矢先に、駄目押しでそんなことを言われた私は、ついに今年度の受験を決意しました。

試験までたった一ヶ月半。ダメでもともとと思ってする勉強は、案外楽しいものでした。

授業の単位はとっているのに、全然知らなかったことがわんさか出てきます。もしこの試験を受けずに卒業していたら、法学部なのにそんなことも知らないのか、と私はまさに東大法学部の恥だったかもしれません。

大学に入って以来、その時が一番勉強していたということは、自他共に認めるところです。

そして迎えた4月30日。一次試験はマークシート形式で、教養問題、憲法、民法、行政法に加え、労働法、国際法、刑法、商法などから選択するというものでした(詳しくは人事院HP参照)。

まずもって、こんなに長時間黙ってイスに座っていることが人生で何度あるだろうかというくらい試験時間が長い。素人の私にはそんなことしか印象に残っていません。試験場では見渡す限り頭の良さそうな人ばかりでしたが、私なんて記念受験も同然だから、と気楽なものです。

翌日の朝には解答が発表され、自己採点をします。想像以上にアレができなかった、思ったよりコレはできた、いろいろひっくるめて点数を足していくと……、もしかしたらこれは……ギリギリ突破できるかもしれない点数でした。

今考えれば、逆にここで落ちていたらこの先の悲劇を味わうことなく就活を終えていたのかもしれません。大きな夢を持ったまま、今もまだ勉強に励んでいたのかも。

希望が見えたのは一瞬

一次試験はそんなギリギリの点数で奇跡的に突破し、5月末にあった筆記形式の二次試験も突破、人事院面接と呼ばれる人物試験も結果としてはそこそこの評価をもらい、なんと国家総合職の試験に合格してしまいました。

これぞまさに棚から牡丹餅。人生で、これほどにも「為せば成る」と実感したことはありませんでした。

もしこのまま、こうして来年の4月から無事に霞ヶ関で働くことになりました、という就活物語だったら、それはそれである意味派手なドラマではあります。

自分には全く関係ないと思っていた世界と出会い、その世界を目指し、短期間で試験に合格して、この先50年近くの人生を捧げる。この数カ月に出会い、励ましあって助け合った友達のことを描けば、月9にできそうな素敵なお話です。

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官庁訪問の悲劇

しかし、まさに「現実はそんなに甘くない」。本当の戦いは実はここからだったのです。

国家総合職として働くためには、国家試験に合格した上で、各省庁に内定をもらう必要があります。そのための選考が「官庁訪問」と言われるものです。

はじめは希望する3省庁に面接に行き、それぞれ1日ずつかけて面接、面談が行われます。朝8時半から夜は省庁によって終電近くまでかかるという、伝統行事のようです。省庁が採用候補者を選んでいくのと同時に、学生側も徐々に志望する省庁を絞っていきます。

第一タームから第五タームまでおよそ半月を経て、省庁側の意向と学生側の志望が一致すれば、内々定が出ます。私の場合、ずっと昔から「国家のために働きたい」と思ってきたわけではなく、「国家のためにこうやって働いているこの省庁で一緒に働きたい」という希望だったので、第二、第三志望はなく、初めから一つの省庁に絞って、官庁訪問をしました。

第4タームまで残ったら、ほぼ内定したようなもの。そんな噂の中で、私は第3タームの夜まで残っていました。10数回の面談を経て、どの先輩も本当に熱くかっこいいと感じ、待合室で一緒に待っている学生も、同期としてぜひ一緒に頑張りたいと思える素敵な人たちばかりでした。これからここで、この人たちとこの国のために働いていくんだ。そう思っていた時、私の番号が呼ばれました。

どん底

荷物を持ってついてきてくださいと呼ばれ、向かった先は、人事課の方が待っている面接の部屋。

説明会以来ずっとお世話になってきた方に、目をしっかりと見つめながら「今回はご縁がなかったということで」と伝えられました。これは私の勘違いかもしれませんが、心なしか潤んだ目で深々と頭を下げられて、「ここまで頑張って受けてくれて、本当にありがとう」という言葉をかけてもらった時は、きっとこの方は私と一緒に働きたいと本気で思って応援していてくれたんだなと感じました。

帰り道、そっか、やっぱそうだよな、私は官僚になれないよな、と不思議な納得感を覚えたこと、翌朝、寝て起きたら「来年、仕事がないかもしれない」という現実がようやく実感できたことはよく覚えています。

悲しいとかどうしようとかそういった感情が一気に込み上げてきて、真夏なのにベッドから出られませんでした。

こうなるなら試験なんて受けなきゃよかった。勉強してた時間を民間就活に当てればよかった。いや、他の省庁にももっと興味を持って官庁訪問は3つきちんと回ればよかった。面接であんなこと言わなければよかった。志望動機は下書きしていけばよかった。

後悔先に立たず。全く無駄だとわかってはいても、後悔せずにはいられませんでした。どうして自分が採用されなかったのか。試験とは違って目に見える形でわからないのが就活の恐ろしさだなと思います。

こうなったら留年してまた来年別の省庁に官庁訪問しに行くしかない。1年や2年くらい遅れるのは大したことじゃない。そう言い聞かせて、そして周りからの励ましもたくさんもらって、なんとか元気を取り戻しました。

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拾う神に拾われて

私の就活はこうして鮮やかな失敗劇として幕を下ろしました。というお話であればそれはそれで価値がありますが、最後に少しだけ後日談を付け加えます。

衝撃の脱落からおよそ2ヶ月後、私は羽田空港にいました。実は、小学生の頃から「将来の夢」として掲げていた仕事がひとつあり、民間企業はその分野だけ選考を受けていたのです。

面接、心理適性検査、飛行適性検査、身体検査、小論文、英語面接……。長い長い選考を経て、9月にようやく最終面接です。

きっとなれない。きっとできない。半分以上諦めていて、だからこそ公務員試験の勉強をしたとさえ言えるのに、まさかのそちらの方が通ってしまいました。

捨てる神あれば拾う神あり。就職先がないから留年、そんな気持ちでいたあの時間に戻ってこっそり教えてあげたいです。結果として小さい頃からの夢が叶った私の就活は、初めから全て仕組まれていたのではないかと疑ってしまうほど良い経験になりました。

今日は大学で省庁の説明会があるそうです。気づけば廊下の壁には例のポスターが所狭しと貼られ、ビラ配りをしている人もいます。私が官庁訪問でお世話になった方、そして知り合いになった内定者の4年生もいました。

きっと向こうは気まずいだろうなと思いつつ、元気に話しかけてみました。「パイロットになるんだってね!おめでとう!」。以前、心配してくれていた人事課の方に、厚かましくも内定の報告をしたところ、官庁訪問中にお世話になった方々には伝わっていたようでした。

一緒に働くことはないけれど、こうして素敵な方々に出会い、心のどこかでお互い励ましあって仕事をしていく。就活は辛いこともたくさんあるけれど、その裏で得られるものも同じくらいたくさんあるんだと思いました。

私のこの一年間はそんな貴重なことがわかるようになった大成長期だったなと思います。今日の説明会に参加する「就活生」のこの先一年も、きっとそうでありますようにと心から思って、卒業に必要な残りの膨大な数の単位を取りに教室に向かうのでした。

この記事を書いた人
筆者のアバター画像
jessica
東大法学部4年生
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