【ヒンシュク上等】勉強できると、肩身が狭い?!~地方公立東大生あるある~

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◆いい成績は隠すのが当たり前。でも謙遜したら嫌味な奴。

まず勉強ができることは自慢にはならない。むしろひた隠しにしたいくらい。定期試験の返却、これは勉強のできる子が存在感を消す時間である。

 

クラスが「うわやっべぇ~!」「○○が赤点だってよ!」「ぎゃはは!」と盛り上がるなか、ひたすら息をひそめる。

だって、「“あいつは勉強ができるから調子に乗っているんだ”」と陰口を叩かれるのが怖いから。ちなみにこれ、なまじ受験意識が高い環境だからこそ起こりうるのでは。

 

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自分も盛り上がりたい。ちょっと羨ましい。

“自慢したら確実に叩かれる一方、謙遜すれば嫌味な奴”と思われてしまう。試験直前なら「定期試験いやだあああ」って誰しも思うじゃん。だって嫌じゃんテスト。もはや謙遜ですらないじゃん。でも「ぽてまるなら大丈夫でしょ~」と言われてしまうんだ。さみしい!

 

もうひとつ筆者の記憶に残っているのは、テストの点数で勝負して、高い方がジュースを奢ってもらえるというもの。

塾や中学の帰り道で友達がそんな話をしているのだけど、話題が変わるまでボケーっと過ごす。「私も混ざりたい」て言ってはいけないのは分かってるので。でも混ざりたかったな!

 

 

◆勉強できる子が上位レベルの学校に入学して感じるのは「安心」。

これ、筆者がザ・モスト共感したところ。

“勉強できる子は、小学校や中学校のせまい世界のなかでは勉強ができるがゆえに目立ってしまい、バッシングの対象になってしまいますが、上位レベルの学校に行けば、同じレベルで勉強ができる学生ばかり。すると、その状況に甘んじて、集団の中に埋没する喜びを満喫してしまうのです。”

 

遠方の高校に入学したての頃うれしかったこと、それは自己紹介しても「ああ(塾のテストでよく名前を見る)あの子ね!」ではなく「ああよろしくね!」の連続だったことだ。

それもほどなくして無くなり「ああ(勉強がものすごく出来るって噂の)あの子ね」が増えていく。「ああこの子がか!(原文ママ)」のこともあった。

結構仲良くなってくると「最初はちょっと怖かったんだけど、案外親しみやすい人でビックリした!」と言われもしたが、喜んでいいのかわからないよね!苦笑い!

段々そういわれるために道化を演じるようになっていくのだ。体育の授業で思い切りはしゃいだりして。

体育でやたらとノリノリ(ちなみに運動は出来ない)

 

さあここからは、そろそろ五月病になりそうな東大1年生必見だ。

東大に入学して、“まるで自由を手にしたかのように「ああよかった、これで目立たないでいられる」と並みになったことを喜ぶ”のは結構。でも埋没する喜びに浸りすぎて勉強をサボりすぎないようにな!

 

勉強しか取り柄のないことを悩んできた人間が、ひたすら堕落して勉強すら取り柄じゃなくなるぞ!

「受験勉強が出来るから東大に入れたけど、受験勉強じゃ測れない力こそ大事だよね(だから自分なんて)」と本心から思ってる人間こそ要注意だぞ!

なんだかんだ大学入学後も受験勉強的な努力が有用である場面はあるし、それを頑張ることで出来るようになることもある。

 

せっかく受験勉強から解放されたことだし、大学生活、何に重きを置くかはそれぞれの自由だが、

「勉強できる子」からの解放から生まれるものがサボる言い訳だけ、ってなっちゃうと、大変残念な4年間になるかも…

筆者は惰眠を貪った

筆者は惰眠を貪った

 

次ページ:閉じこもる「勉強のできる子」

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