【東大生×祭り】祭りって、なに?【率直なギモンを東大教授にぶつけてみた!!】

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みなさん、祭りって何だと思いますか?

 

 一部の人しか参加できない踊ったり神輿を担いだりするもの?

 何百年も続いている伝統のあるもの?

 屋台でベビーカステラとか、焼きそばとか食べるところ?

 

フードフェスティバルとか、音楽祭とか、文化祭とか、僕たちの周りには本当に沢山のお祭りが溢れているけれど、そこにある祭りの定義、とは一体何なのでしょうか。

突然ですが、東京には「神田祭」というお祭りがあります。

日本三大祭りの一つとして数えられ、江戸幕府の厚い庇護を受け発展してきた「天下祭」とも呼ばれるお祭りです。

その神田祭の江戸時代の姿の再現に研究室全体で関わりながら、祭りを研究対象の一つとしている文化資源学研究室の木下直之教授に「祭りとは何か」についてお話を伺ってきました。

  1. お名前:木下直之 教授
  2. ご所属:東京大学文化資源学教室
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祭りって一体なに?

 

ー 先生、そもそも祭りって何なんでしょう。

 

祭りが本来持っている力、あるいは意味を考えてみましょう。先祖を祀ることが原点でしょうね。それは死者や死後の世界との関係形成であり、宗教へとつながります。死者の祟りや疫病・災害から逃れる祭り、収穫に感謝する祭りもあります。東日本大震災では、災害からの復興に大きな力を発揮しました。それぞれのコミュニティの要となって機能してきたからです。

また、都市経営として、庶民のエネルギーをいかに抑えるのか、という意味合いもあります。お祭りがあることによって庶民は普段の生活のガス抜きができ、それを経て再び日常を生きていくことができます。

再生の力があるのですね。社会の経営にもつながるわけで、そうなればほとんど政治ですね。なにしろ、昔は政治を「マツリゴト」と呼んだのですから

 

ーなるほど、祭りって庶民にとって必要不可欠なものだったんですね。

 

そうなんです。しかし、祭りはいいことばかりではありません

祭りがあれば喧嘩も起こる。さらに打ち壊し、暴力行為といった民衆の暴徒化にすぐさまつながってしまうような力を祭りは秘めているのです。江戸時代でも祭りはかなり厳しくコントロールされていましたが、実際に大きな喧嘩は起こっていました。近代を迎えて警察が組織されていくようになると、祭りは次第に規制されていきましたけれど。

 

ここで、都市の構成員は誰だったのか、と考えてみましょう。参勤交代で全国から単身赴任者が集まっていた江戸は、そもそも男が圧倒的に多い都市でした。職業を自由に選べる時代ではなかった時代でしたから、家業を継げない男たちが江戸に流入し、都市の下層民を形成します。鳶のような労働者が町人といっしょに祭りを支えていました。彼らをいかにコントロールするのかというのが、都市の経営という面でとても大切なことであったと言えるでしょう。

祭りとは、すなわち民衆のエネルギーが爆発する場であり、それを支配層がコントロールするせめぎ合いのでもあったのです。

現代ではそれが見えなくなって、ただ単に古きよき時代からの伝統文化のように受け止められています。それは、現代人がそう期待しているからに過ぎない。

 

ーなるほど、祭りにそんな機能があったとは思いもしませんでした!

そんな東大のお祭り男である木下先生の文化資源学教室ではどのような研究を行っているのでしょうか。

 

日本の近代化で様々な文化がどのように変わって来たのかについて研究しています。私自身の話をさせてもらうと、大学時代は美術史を学んで、神戸の美術館で15年ほど学芸員をやっていました。しかし、美術館学芸員が向かい合世界はとても限定的だなと感じるようになりました。つまり、美術館は美術の世界だけを相手にしていたからです。

そんな学芸員時代に、大阪を訪れる機会があり、近世の祭りの魅力にとりつかれました。そこには、瀬戸物祭り、という瀬戸物の皿や椀で人形を作るお祭りがありました。しかし、祭りが終わるとそれら人形はあっさりと壊されてしまうのです。祭りの時にのみ創造される造形物とも言えます。

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瀬戸物人形

これは、美術史を学んでいた人間からすると理解できないものでした。なぜかというと、美術館に展示されているものは未来永劫残さなければいけないものとされ、それこそが美術の世界であると考えられている空間であるからです。

美術館の世界と、祭りの世界とはまさに対極的とも言えるものであったのです。

美術館にあるものは、それがそこに置かれた時点でそのものの価値は固定されてしまうと思います。祭礼の周辺に生まれてくる造形物、当時の言葉で”つくりもの”と呼ばれたのですが祭りが終わったら捨てられるように、価値が移り変わっていくのです。

 

ー先生は今、ご自分が学生時代やっていた美術とは’価値’の観点から見ると対極の存在である、祭りの研究をなさっているということですね。なんだかロマンを感じます!笑

 

「つくりもの」(「作物」とも書きます)という言葉は、現代ではニセモノやマガイモノを指し、あまりいい意味で使われてこなかった言葉であります。しかし、近代を迎えるまで、素朴で、力強い造形物を指す、単刀直入な言葉であったはずです。まさしく「作った物」ですから、価値判断が入っていません。農作物を呼ぶ時にだけ生きています。

そこに取って代わるように「作品」という言葉が登場しました。まさしく美術館に手厚く保存されているようなものが「作品」なのです。しかし、「作品」という言葉が使われるようになったのは明治の終わりで、たかだか100年くらいしか使われていないものです。「物」ではなく「品」であることが重要ですね。そこには価値判断が働くわけです。上品・下品というように品とは質を測る言葉ですから。

さらに現在では、「アート」という言葉が強い力を持ち、なんでも「アート」という言葉で覆われつつあり、「作品」という言葉さえももはや失われつつあります。

このように1990年代から祭りに興味を抱くようになりました。その後、東大の博物館に移り、ちょうど2000年に文学部が文化資源学研究室を立ち上げた時に、ここに着任しました。

文化資源学を掲げる本研究室では、社会における文化的な資源、特に近代の価値形成の中で価値を失ったものを再評価して、新たに光をあてるということをやっています。

 

※大阪せともの祭り: 江戸時代初期から受け継がれて来た、300年以上の歴史と伝統のある行事。坐摩神社(いかすり神社)、通称「ざまじんじゃ」の境内にある火防陶器神社に陶磁器皿作り人形を奉納し、茶碗を供養する盛大な夏祭りを行い、今日まで継承されて来た。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

医学部医学科6年。2016年度阿波踊り、東大連連長。

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