映画『君の名は。』が、東大生の心を掴んだ理由とは。【レビューコラム】

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映画『君の名は。』

ジブリ作品以外のアニメ作品で初の興行収入100億円を突破する、7週連続動員ランキング1位など何かと話題に尽きない作品となっています。

それだけヒットしているんだからきっと何かと語ることがあるに違いありません。というわけで今回は『シン・ゴジラ』に引き続き、『君の名は。』レビュー企画です!

いただいた寄稿の中からいくつかピックアップしてお届けします。

※以下映画のネタバレを含みますので、ご注意ください!

<災害と物語>について

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『君の名は。』で流した涙はラストでの数粒。私にとってこの作品は、じんわりとした良さを持ったものであった。

さて、ここでは<災害と物語>について見てみようと思う。古今東西、災害にまつわる物語は紡ぎ出されてきた。『君の名は。』で瀧と三葉が入れ替わったのも、彗星の落下が関わっている。

実際の災害ではないものの、二人の関係はそれ無しには語れないのであり、そこから生まれる「糸」「組紐」「結び」「絆」の物語は間違いなく東日本大震災の記憶を引きずり出し、多くの観客の胸を打った。

災害がもたらすものは物質的な意味での破壊や復興だけではない。精神面では生死、時間、人間に対する考え方にも大きな影響を与え、物語の契機という顔も持ち合わせている。ただ、言語化が難しいこともあり、それは直後というよりはしばらく経ってから語られる傾向にある。『君の名は。』もその系譜に加えられるだろう。

災害をどう振り返り、向き合い、未来に進むのか。物語を通して考えるのも興味深いと再認識した次第だった。

君の名を楽しめなかった人へ

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映画「君の名は。」のエンドロールをぼーっと見つめながら思ったのは、「なんか違うな」だった。以下はわたしの個人的な感想になるので、どうか君の名は。絶賛派の方たちは読まないでいただきたい。

「君の名は。」は、綺麗すぎた

空も、人間も、ストーリーも。

あまりに綺麗だったので、何もわたしの心に刺さることなく、すべてが流れて行ってしまった。作中で起きた奇跡は美しかったが、しかしうまく行き過ぎていたように思われた。

瀧がある場所を訪ねたことで、不可能だったはずの三葉との入れ替わりができてしまい、そして三葉の必死の説得により友人たちや長年わだかまりのあった父親でさえ彼女の意思に従ってしまった。

奇跡とは、あんなに簡単になされるものなのか。

あらゆる手を打ちつくし、絶望し、どうしようもなく目の前が真っ暗になる。そんな時に起こるからこそ、奇跡に心動かされる。

作中において、奇跡が起こるには、あまりにも障害が少なすぎた。

登場人物は誰しも聞き分けの良い「綺麗な」人々で、奇跡も、何の犠牲もなく得ることができた傷一つない「綺麗な」奇跡だった。現実の残酷さは一欠けらもなく、感情移入のしづらい「完璧」なハッピーエンド。だからこそ、わたしにはつまらなく思われた。

かの奇跡の起こる過程で、何かしらの犠牲が生まれていれば。もし、最後二人が出会えなければ。

チクリと切ない痛みが、映画を見終わった後も尾を引いていただろうに。

「君の名は。=夢」説

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私は『君の名は。』のレビューを書くことができない。

なぜなら覚えていないからだ。

私はこの作品を観てたしかに感動したはずなのだ。風景は美しかったし、二人の運命にどきどきした。観終わったときには良い映画だなあという感慨があったのを覚えている。 しかし、それはすぐに失われてしまった。

印象的な台詞やシーンははっきりと思い出せる。ストーリーも忘れたりしていない。でも感想を求められると何も言えなくなるのだ。

あれ、何が良かったのだろう?私は何に感動したのだろう?

ストレートな物語は私が普段あまり好まないものだったし、特に惚れた登場人物もいなかった。ただ「良かった」という感慨があったはずなのだが、それすら今になると怪しい。

まさに夢である。

夢は映画の中で重要な役割を果たす。三葉と滝を繋ぐのは夢であり、それは心の奥底に根ざしながら目覚めれば失われてしまうものである。

『君の名は。』はリピーターも多いと聞くが、何度も観に行く人の気持ちはとてもよく分かる。

「忘れちゃだめ」なもの、「忘れたくない」ものを映画の中に置いてきてしまったような気分になる。映画を観ているときにだけ得られる手触りを何度でも確かめたくなる。

私には『君の名は。』という映画自体が夢であるように感ぜられるのである。

「君の名は。」 -ヒットの法則とジレンマー

 

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興行収入が130億を突破し、映画史に残る大作となった「君の名は。」だが、果たして全員が幸せか。

まず、ヒットには一定の法則がある。

そしてそれは、ジブリがもののけ姫(193億)、千と千尋の神隠し(304億)でとった戦法なのだ。それに不可欠な要素は「宣伝」と「配給」である、ただいい映画を作れば売れるのではない。宣伝は興行収入に直結する。

どれだけ消費者の目に映画の広告を見せられるかが勝負だ。

今作は、JR東日本、サントリーなどの企業やRADWIMPSとコラボし、映画公開期間にイベントを多く打ち出していた。

そして配給である。東宝は前作23館の新海誠作品に、300館の映画館を割り振った。なぜか。

おそらくだが、新海誠監督のみが脚本に関わっていれば、三葉は町を救い亡くなっていたと思う。そして「英雄」として称えられた彼女を、たきがニュースでチラ見するのがラストシーンだったかもしれない。

しかし今作の脚本には、東宝と敏腕プロデューサー川村元気がついている。過去作でみせてきた新海ワールドをボッコボコに「矯正」し、「ヒットする作品」に作り上げたのだ。

まずストーリーをRADの歌に沿う形にし、「頭で考えないMusic Videoと揶揄されるほどに老若男女が見やすい内容とし、アニメーターをジブリから引っ張り、

まさに無敵といえる布陣で公開へ踏み切ったのである。これで売れないわけがない。

「利益出たし問題ないのでは?」と思うかもしれないが、困る者もいる。監督である。

当然、次回作はこれを超えてくると大衆は期待する、しかし、「新海誠の世界観」でこれ以上の数字を叩き出すのは不可能に近い。(彼の前作は1.5億)

しかし、売るためには宣伝を多く打たねばならず、宣伝を打ったからにはその莫大な費用に見合う作品を作らなければならない。

作家性を捨て、大衆に売れる作品を作るのか、利益を無視し、己の世界観で勝負するのか、究極のジレンマだ。

 

→次ページ、新海誠の熱狂的ファンが、「君の名は。」批判に物申す!

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KZ

UmeeTカメラマン、白米が好き過ぎることが最近の悩みです。

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