いまこそ障碍の本質を問おう。凄惨さはすぐに忘れてしまうから。津久井やまゆり園の事件を受けて、脳性まひの東大准教授・熊谷先生を訪ねる。【前編】

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まず事件の真相と影響を切り分けて考える。

学生Y:今回熊谷先生のお話を聴きたいと思った動機として、今回の事件の衝撃をどのように受けとめたらいいのか、という悩みがあります。そのような戸惑いを抱えている者はたくさんいることでしょう。

 まず初めに知りたいのは、根本的な、構造的な原因です。

 私たちも一人の人間を非難すれば良いというわけではないと感じていますが、私たちはそれについて実際どう感じるべきなのでしょうか。かなり個人としては危険な状態だったということはあると思いますが、個人にすべてを求めるのは限界があるのではないでしょうか

先生:事件が起こってしまった根本的な原因とは何か。事件の真相を明らかにするというのと、事件の影響を明らかにするというのは分けなければいけない。

 根本的な原因というのは、現時点では情報が不足しているので言及しません。真相や原因に関する様々な推測をし、拙速に原因を何かに帰属させるのではなく、時間をかけていく必要がある。

 今日のお話も、真相と影響を切り分けたい。事件の真相というよりは、事件のインパクト、すなわち社会に対する影響についてお話したいと思います。事件後になされている、措置入院をどうするか、薬物依存をどうするか、施設管理をどうするか、という様々な議論をどうするか。あるいはこの社会に住む様々な当事者について、どのようにして、ともに生きてゆくのか。また、今回の事件が与えた影響のなかには、メディアの取り上げ方とその帰結という問題もある。

学生Y:この事件を機に社会がどう反応するかということで言えば、WEBの過激のなものであれば、犯人一人をサイコパスなどと扱って、彼一人を悪者として扱っていますよね。しかしそれは危険な扱い方ではないでしょうか。

 障碍を持った方を否定することは良くないと言いながら、薬物依存や精神疾患を抱えていた加害者の方を非難するのはどういうことなのだろうか、と疑問を抱きます

 そこに先生は、どのような思いを持っているのでしょうか。

先生:こういう事件がおきると、まずセキュリティの問題が指摘されます。

 措置入院の制度が甘すぎたのではないか、薬物に対して厳罰的に対応すべきだったのではないか、施設の安全管理も不十分だったのではないか、という話になる。しかし、そういう議論が行き過ぎると、これまで半世紀の間になされてきた、多様な当事者が包摂される地域社会を目指す実践がないがしろにされる危険がある。

依存先が減ると、暴力のリスクが高まる。

 私は当事者研究をやってきました。当事者研究は精神障碍の人の方々の中から生まれた自助の実践です。当事者研究をやっていると、障碍のカテゴリー、障碍の有無さえも超えて、「そうだったのか」と気づくことがしばしばあります。

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