牛角の「カルビ専用ごはん専用カルビ」は論理的にこの世に存在可能か?【東大生4人ガチ議論】

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<第三章 最適化の困難性> 「あらゆるカルビに合うごはん」は、一体何に合うのか

前章までから、経済学的に難しく言えば、

「カルビ専用ごはん」は「あらゆるカルビ」に対して「最適応答戦略を取っている」

と考えてよいだろう。

つまり、世の中にはさまざまなカルビがあるが、「そのとき出てくるカルビに対して、最も良く合うごはん」こそが「カルビ専用ごはん」たりうる、ということである。

しかしここで問題が起こる。

カルビ一切れ一切れは性質が少しずつ異なるはずである。そうでなくても、牛角は「タレ・ミソ・塩」などの異なる味付けのカルビを提供している。

それらに対して、「カルビ専用ごはん」は本当に最適化されているのか?

当然ながら、否、である。

どう見ても「カルビ専用ごはん」は細やかにその姿を変えてはいないし、「どの客がどのカルビとともにそのごはんを口に運ぶか」など把握できるはずがない。店員さんがかわいそうである。

では牛角は、そもそも「カルビ専用ごはん」を世に出した段階で、嘘をついたことになってしまうのだろうか。

 

そう決め付けるのは早計である。牛角はまだ守れる。

当然、数あるカルビのそれぞれに最適化できるわけがない。そもそも「カルビと呼ばれるものすべてに合う」ごはん、と定義されていたではないか。つまり、「存在するカルビの平均値」を取ったときに、その平均(ここでは「理想カルビ」と定義しておこう)に合わせて、ごはんを設計したと考えられる。

つまり、「カルビと呼ばれるものすべてに合う」ごはん、が「本当に最適化」していたのは、他でもない、平均値としての「理想カルビ」だったのである。

なぜ「理想カルビ」などという言葉をわざわざ用いたかといえば、そんなカルビは牛角に存在しないからである。

平均を取ったのに(もっともありふれたカルビのはずなのに)、なぜ存在していないのかと不思議に思うだろうか。

牛の個体ごとの差などを無視したとしても、牛角が提供しているすべてのカルビ、つまり塩のカルビ・タレのカルビ・ミソのカルビの、平均を取った味のカルビなど提供されていない。多分それはあんまりおいしくない。何味とも言えない半端な味である。

議論当時使われた図1

議論当時使われたわかりづらい図1

さて、ここまででようやく、「カルビ専用ごはん」が何を意味していたかを解き明かすことができた。ようやく「カルビ専用ごはん専用カルビ」に挑むための準備が整ったわけである。

しかし実は、もう目の前に答えがあるのではないか?

 

一旦そもそもの問いに戻ろう。我々が追い求めているのは、

「カルビ専用ごはん専用カルビ」は論理的に存在可能か。だとしたら一体何なのか。

ということであった。(ようやく「カルビ専用ごはん専用カルビ」の再登場である。)

これまでの議論で分かったのは、

「カルビ専用ごはん」は、「あらゆるカルビに合う」といいながらその実、(それを達成するために仕方なく)牛角が提供していない、平均値としての「理想カルビ」に最適化している。

ということであった。

つまり、新メニューとして現れてきた「カルビ専用ごはん専用カルビ」とはまさしく、この「理想カルビ」なのではないか?

これなら、牛角は何も嘘をついていない。矛盾無く、潔白だといえる。

牛角を救い出す結論を見出せたように思えた。しかし、戦いはまだ終わらなかった。実はすでに論理の綻びがあることにお気づきだろうか。

牛角が陥ったのは、それほどまでに、深い闇だったのだ。

次ページ:論理の綻び。「理想カルビ、不味そう問題」

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ABOUTこの記事をかいた人

杉山大樹

UmeeT編集長 常にエンターテイナー的でありたいです。 笑論法創設代表・東大エンターテイメント広報部部長

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