7ヶ国語話せる!?最強グローバル学生の原動力とは

7ヶ国語話せる東大生
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☞学生証

  1. お名前:秋山燿平さん
  2. 所属:薬学部の院1年
  3. 進路:就職

 

秋山さんは、ビジネスレベル以上で5ヶ国語、その他にも簡単な日常会話レベルならさらに数ヶ国語が話せるという、とんでもない語学力の持ち主。

 

実際取材した時も、取材メンバーの一人(中国からの留学生)と軽快に中国語で会話をかわし、「発音も凄く良い!」と驚かせていた。

 

彼はその語学力を活かし、国際交流パーティーを毎週開催する団体Élanの代表として累計、約7000人に語学交流の機会を提供したというから凄い。

 

常に明るい笑顔で気さくな人柄の秋山さん。

彼は何を考えそれほどまでに語学を極め、国際交流に情熱を傾けているのだろうか。大学に入る前の経験にヒントがあるのか?挫折はあるのか?聞いてみた。

「自分は研究者に向いていないかもしれない。」

秋山さんは理科2類に入学。駒場時代(1、2年)はそれなりに授業もサボったり、得意だったサッカーをサークルでやったり、仲間と合コンにいったり、と思いのほか「普通の東大生」だったという。

 

そんな秋山さんは、進学振り分けについても、何か強い信念があった訳ではなく、「点数があったので薬学部にいきました。」と、あっけらかんと言ってのける。

しかし、薬学部に進学後、彼の中である違和感が段々と大きくなっていったそうだ。

 

研究職に自分は向いていないのでは

 

東大の薬学部の学生は多くの人がそのまま院に進学、ほとんどが薬剤師の資格も取らず、研究者になるという。   東大の理系であれば状況は比較的似ているかもしれない。

 

勉強に向いている人と研究に向いている人は別で、秋山さんは自分は前者であることを、院に進んで焦りと共に認識するようになった。

 

周囲の学生が研究者への夢に邁進する中、秋山さんは、自分の強みは何だろうかと考え、出た答えは、『語学』だったという。

 

もともと語学が大好きで、高校生のときに自主的にスペイン語を勉強して検定を取ったほど。それからは、語学の勉強にさらに熱中するようになった。

日本に来た外国人が求めているもの

アメリカで語学留学した時に、実は単に留学するだけではアメリカ人と知り合えない、と痛感した

 

見落としがちだが、語学学校にアメリカ人はいない。アメリカ人と知り合うためには、主体的に交流の場を探さなくてはいけない。

 

これは日本に来ている外国人も同じで、気軽に日本人と知り合う場を求めているのではないだろうか。それが秋山さんの気づきだった。そのような場所を提供することに自分の強みである語学が有効ではないか。

 

そこから学生が主体の国際交流パーティーが毎週数百人もの人を集めるのにはそう時間はかからなかった。

 

純粋な文化交流、語学交流を追求し、健全性にこだわった。例えば、Élanのパーティーでは場所にナイトクラブは使わない。これにより、クラブのような場は好きではないが、国際交流に関心のある日本人の女の子を来やすくした。

 

秋山さんがパーティーで発する言葉は二言だけ。「集合写真を撮ります」と「退出してください」だけ、というのだから驚きだ。パーティーの内容は、ゲームや団体のプレゼンもない。ただただ参加者が会話を楽しんでいるという。

 

外国人好みの、無駄なゲームやプレゼンのないシンプルな会にし、当日スタッフとして働いてくれた外国人は参加費無料にするなどの工夫をした。外国人のリピーター率が高いのも納得である。外国人率が高く、ちゃんと会話ができる。そんな噂を聞きつけて日本人も集まる。半年で4000人の集客に成功。あっという間に日本一の集客力を誇る交流会へと成長した。

圧倒的な一番にならないと次につながらない

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今まで41回。全てのパーティーで赤字が出たことがない。だが、困難が無かったわけではない。

 

一番困ったことは会場の確保。ナイトクラブではないが数百人が入れる場所で、しかも毎週パーティーを行うというのだから尚更だ。イベントの2週間前に、会場から返金するのでキャンセルさせてくれと連絡が来たこともあるらしい。会場の確保の問題はこれからもまとわりつきそうである。

 

そこで疑問に思った。苦労を伴いながらも、数百人もの人を集める交流会を毎週行う意味はなにがあるのだろうか。

 

そこで返ってきた答えは「多少利益が下がっても、圧倒的一番になることが大切。」これが毎週パーティーをやることのモチベーションだという。

 

“外国人が日本人と出会える、日本人が外国人と出会える健全な場所といえばここ。” そう言われるような、一番の存在にならないと次に繋がらない、と秋山さんは話す。

 

次に繋げる、とは。 現在就活中の秋山さん、就職してもこの活動を続けたいそうだ。

 

0から1を作ったという経験、学生団体の代表を務めたという経験、言語スキル。そして何よりも、これほどまでに多くの人々を集めた経験。

 

これらの強みを生かして、これに付加価値をつける形でまた新しく何かをやりたい。

経験を土台にして「日本を国際的に成長させる」ことが秋山さんの現時点での将来のビジョンだ。東京オリンピックなどを契機に外国人がもっと日本にくるはず。

 

外国人がたくさんいて、そういう人達と交流することが当然になれば、外国人や違う文化を持つ人に寛容になるのではないか。そういう人材を作るために、成長できるような交流できる場を提供していきたいと語ってくれた。

「疎外感を感じた。割と悩んだ。でも逆にもっと目立ってやろうと思った。」

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これほどまでの行動力、実行力の背景には何があるのだろうか。それは東大に入るまでの中高時代にヒントがあった。   中学二年の冬までサッカー一筋で、選手になる夢もあったいう。今や誰もが知る有名選手との対戦経験もある。

 

しかし、そういう選手とプレーすることで自分の限界を知り、サッカーの夢をあきらめ、勉強で大きな方向転換をした。これが人生最大のターニングポイントだったと過去を振り返る。ただ、それでは終わらない。

 

中高一貫の進学校に高校から編入してきた彼は最初の定期テストでいきなり学年一位。さらにはプロを目指すほどスポーツに打ち込んでいた身として、体育祭でも活躍。一部の内部生に目をつけられさえしたという。   彼はそこで萎縮するようなタマではなかった。

 

疎外感を感じた。割と悩んだ。でも逆にもっと目立ってやろうと思った」と笑顔で語る。

 

そして、「そのときの疎外感が、自分の原点かもしれない」・・・とも。

 

本当に価値を与えたい人に価値を与えるには嫌われることも大事であると話す秋山さん。

 

今の国際交流パーティーのスタイルにも結び付く。パーティーの趣旨を理解していないと思われる参加者がいれば、恨みを買う危険があっても厳しく対処する姿勢を貫いている。

「東大に入って良かったことはなんですか」

そんな素朴な質問を最後にしてみた。 即答だった。

 

発言を聞いてもらいやすい。」と彼は言った。

 

“東大生の秋山”の言ってることだから、とりあえず聞いてみようかと門前払いされることは少ないことを実感していた。

 

「最低限のスタートには立てる。それが大きなメリット」。なるほどと思った。

 

勉強のできる異質な存在として高校内で目立ってきたが、東大に来て埋もれてしまい悶々としている東大生は多いだろう。秋山さんが東大に入った理由も、単純に一番の大学だったことのほかに、東京で生活すればより世界に近づけると思ったという漠然としたものだった。「東大生」なりたての駒場時代はそういった東大生と同じだったのだろう。

 

しかし、そんな自分に違和感を感じ、自分の意志で行動して、何かしら外に出て冒険して気づくことがあり、新しいことを始めた。一歩引いて自分を客観的に見、自分の強みを知ることで世界は変わったのだ。

 

秋山さんの運営する国際交流団体Élanのページはこちら

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ABOUTこの記事をかいた人

henry

「一応、東大生です。」自己紹介はいつもこんな感じ。 毎日を楽しく明るく過ごしてます。神戸出身、ヘンリーです。

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